貴族社会全体でも、藤原氏の増加と他氏族の没落が見られた。こうした傾向に拍車がかかったのは、8世紀末-9世紀初頭の時期とされている。義江明子は、氏が持っていた在地性・両属性がこの時期に失われ、氏の再編が起こったとする。宇根俊範は、桓武天皇は従来と異なる方針で諸氏族の改賜姓を行い、このため貴族社会における各氏族の序列が大きく変化し、源平藤橘を頂点とする新たな貴族社会秩序が生じたとする。
平安時代初期の議政官を見ると、藤原氏のほか、源氏、橘氏、清原氏、菅原氏などのように、奈良時代には見られなかった氏族が急速に台頭していた。880年ごろには、議政官氏族の多様性が失われ、藤原氏・源氏が議政官のほとんどを占めるようになった。藤原氏は摂政・関白の地位を獲得し、それを世襲することに成功した。以降、10世紀から11世紀にかけて、藤原氏嫡流(摂関家)は、天皇の外戚、すなわち身内として代々摂関となって貴族社会の頂点に位置し、10世紀から11世紀にかけて摂関政治と呼ばれる政治形態を布いた。ただし、通俗的な理解とは異なり、摂関家は専横的に権力を振るったわけではない。摂関といえど独裁的な国政決定を行なうことはできず、重要な国政決定はすべて陣定などの公卿会議を通じて行なわれていたのである。
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先述したとおり、9世紀後半から10世紀にかけての時期に、上流貴族が藤原氏・源氏にほぼ限定されると、他氏族は中下流貴族として存続する道を模索し始めた。10世紀初頭、王朝国家体制への移行に伴い、律令機構や権能を特定者へ請け負わせる官司請負が行なわれ始めたが、機構・権能の請負いに成功した中下流貴族は、その機構・権能を家業と位置づけ、それを世襲する家業の継承を行なうようになった。例えば、武芸・軍事を家業とする中下流貴族は「兵(つわもの)の家」と呼ばれ、押領・追捕・追討活動に従事する軍事貴族となり、武士の母体となっている。